「わたしって、音楽が好きなんだなあって思った」

久しぶりに、本当に久しぶりに、常軌を逸する勢いで音に溺れた。
ああ。
わたしが確かめたかったのはこれだったんだな。

大概、行ったライブは楽しく聴いている。
「ほー」とか「はー」という瞬間があり、うれしく踊る。
でも、今回のtoeのライブはそんなもんじゃなかった。

10月の地元のイベントで初めてtoeを生で聴いた。
あの日の日記には
「あんなに内側に食い込んでくるような音楽は、重い。しんどい。
4人の行者が自分に与えられた苦行に向き合っているように見えたし聞こえた」
と書いている。
あの日はどうやらメンバーのコンディションも良くなかったらしい。

でも、あの重さ、嫌いじゃないんだよなあ。
それに、コンディションがよかったらどんな感じ?
とかいろいろ思った。
そして確かめたくなった。

昨日のライブでは最初の音で
「うわうわうわうわうわああああ」と堕ちた。
自分の状態が怪しくもあったのだが、それにしても。

歌詞はない。アジテーターもいない。
MCも笑顔もそんなにない。

音だけ。
ぞっとする音の隙間と容赦なく正確なリズム。
ギターのヘッドがふっと浮き上がる瞬間。
空気のように差し出されるカウント。

この音好きだ。気持ちいい。
ずーっと聴いていたい。

4人が向かい合って音を出していた。
誰のためにとか何のためにとか、そんなんじゃない。
音を出す。それだけ。
わたしは聴くだけ。

それでいい。

*  *  *

ライブが終わって、同行の友人が飲みながらひとこと。
「わたしって、音楽が好きなんだなあって思った」。

初めてtoe聴いた友人にもそう言わせる音だった。

*  *  *

しかしまあメンバーは通常運転の範囲だったみたい。
かなわんよね。

2011年

いい年ではなかった。
大震災や台風の被害ももちろん、自分の狭い世界の中でも。

連絡を取らなくなった友人、知人がこの1年でぐっと増えた。
25年くらいの友人や、大学時代の友人や、30歳をこえてから知り合った人たちなどなど。
なんとなく疎遠になった、というのならいいのだけれど、
少し感情に苦みを残す別れ方だ。
いわゆる「私の不徳の致すところ」ってやつが原因。
寂しいなあ、と思うが、しょうがないのかな、とも思う。
その人たちから淘汰されたくないのなら、我慢しなければならないところもある。
それを我慢できないのならさよならするしかないのだ。

仕事は普通にやれた。
自分を人たらしめているのはすでに仕事だけなので、これくらいはやっておかなくてはなあ。
かといって、会社にぶら下がり過ぎてもいかん。
来年は、きつくなる。いろいろと。きっとまた「きーーー!」となるだろう。
なるべくなるべくできるだけ、自分を見失わないようにしていこう。

それから。
「現実」を実感することが多くなった。
それは、常温で固くてとりつく島がない感じで、目の前にぬっと立ち上がってくる。
ゆるぎないのだなあ。現実ってやつは。
その現実が自分を受け入れてくれない、と気づいたときに、わたしは泣くしかなかった。

超えなければいけないものが自分にはたくさんある。
来年は超えられるだろうか。
超えられなくてもしょうがないが、自分よ、もうちょっと強くあれ、と願うよ。

またひとつ

歳をとる。あと1時間くらいたったら。
止めようがないのでどうしようもない。
だから流れに任せるしかない。

重ねた時間のぶんだけ、きちんとした人間になっているのだろうか。
たぶん、ゆるいし、あまい。まだまだだ。
変わるのは苦手だけど、少し変わった方がいいのかもしれない。

自分が「よし」と思える自分になろう。

音がめぐる日


「STARS ON」というイベントに行ってきた。
出演者はこんな感じ。
東京カランコロン
cero
トクマルシューゴ
・ハンバート ハンバート
スチャダラパー
・SAKE ROCK
・ZAZEN BOYS
toe
DJ
・DJ ごはん
・K.U.D.O

美星町というところに中世の町を再現した「中世夢が原」という施設があり、そこのステージが会場。のんきな場所だった。

スタッフも見に来ている人たちもなんだかのんびり。
臨時駐車場からのシャトルバスに乗るのに、順番を譲り合う人々とか。いい感じです。

地元のオサレカフェや食べ物さんがフードブースに出店していた。
そして、そこから少し離れたところではで地元のおじさんがアイスクリームと
焼き芋とペットボトルのコーラとお茶を売っていた。
コーラとお茶は500mlで100円だよ100円。自販機より安く売ってどうするんだよおじさん!!

昼下がりにわりと日差しがきつく、ちょっとしんどいなあ、と思っていたところ、
少し離れたところに芝生の広場を発見。
そこに移動し、しばしお休み。
そこでは縄跳びやコマ回しや弓矢などなど、遊び道具が置いてあって、みんな自由に遊んでいる。
わたしたちも遊んだり休んだりとだらだらと過ごす。

遠くから音は聞こえてきて、でも近くで鳴いている虫の声も聞こえてきて、
芝生の上で寝転がって寒くも暑くもない。風もあまりない。
極楽極楽。

で、肝心の音楽の話。

ライブでは初めて見るミュージシャンばっかりだった。
CDとかを聴いて、勝手にこっちで想像しているのとは違ってたなあ。

東京カランコロンは意外と激しい音に牧歌的なボーカル。
ceroは理系の音。
トクマルシューゴは意外と力強い。
ハンバート ハンバートは素朴で元気で美しかった。

スチャダラパーはねえ。
見たかったさ。もちろん。
でもね。
「こんな岡山でもみなさんの食べるものとかに少しずつに放射能にやられてるわけですよ」
とか「かえせ!」というコール&レスポンスとかいるのかね?
岡山みたいなのんきな場所でそれを持ち込むのは勇気があるのかもしれんが、わたしは楽しくはなかった。

あれ以来、反原発脱原発という言葉が流行っている。
あえて「流行っている」という言い方をするよ。
ことは深刻だし。軽々しく口に出せることではないと思うんだよ。
なんか、ああいう場でいうことなのかな?そこに信念はあるのかな、と思った。

このフェスで使われている音楽だって何割かは原発で生み出されたものかもしれない。
お客さんの中には電力会社に勤めている人だっているかもしれない。
それに。フェスって楽しい場所であって、啓蒙活動の場所じゃないよ。
うーうーうーうーうー。
とかいろいろ考えてしまった。

SAKE ROCKは夕暮れ時に登場。
予想を超えるしっとり具合。クール。男前音楽。
ハマケンってブサ小さいお兄さんと思っていたけれど、
そしてSAKE ROCKはハマケンのイメージに引っ張られて勝手に想像していたけれど、かっこよかった。

ZAZEN BOYSは音圧がすげえ。
相方いわく「すんごい練習してそう」。
ああ。わかるわかる。あんな間の取り方、普通では無理。

そしてtoe
むー。わたしのtoeに対する認識は甘かった。
「星空の下で聴けたらすてき♪」とかじゃなかった。
あんなに内側に食い込んでくるような音楽は、重い。しんどい。
4人の行者が自分に与えられた苦行に向き合っているように見えたし聞こえた。

てな感じで。
久しぶりにいろんな音楽を生で聴いて、いろいろと考えた。
考えすぎだ。悪い癖だ。

変わらないということ

以前の職場に顔を出しに行った。
以前の通勤路を通って。

道沿いの店がいろいろ変わっていた。
おー。こんなところにこんなモノが。
あれー?あの店潰れたの?
とか。

職場に着く。
ここはずーっと続いてる。
いろいろと配置が変わっていたり、
でもその向こうに見知った顔の人がいたり。

ああ。ここのにおいって好きなんだよねー。
なんだろう。
たくさんの新しい商品が出すにおい。
無機質なんだけど、安心できる。

そして元同僚たちに会ってダラダラと話す。笑う。

「変わらんねー」と言ってくれる。
ありがとねー。お世辞でもうれしいよ。
あれから7年半くらい経つけどね。

みんなも変わらない。この会社も変わらない。
おもしろいくらい。
あの部長はまだ現役だとか、
わたしの在職中ボケてんじゃねーの?
と言っていた会長がまだやる気まんまんだとか。

変わらないなあ。変わらないねえ。

帰り道も、あの頃通っていた道を選ぶ。
そうだ。この川沿いの道。
信号がなくて、山と空と海に向かってただだらだらと伸びてる道。
好きだったんだ。この道。

ああ。ああ。

変わらないものって安心する。
心の底の底の底の底から安心する。

*   *   *

世間と関わっていると変わることを強要される。
それが当然なんだけど。

わたしは「変わる」ということが苦手だ。
自発的に変わろうとせず、流れにまかせてやってきた。
なし崩し的に生きてきてちょっと後悔したくなるような今に至っているわけだが。
今も変わることを鼻先に突きつけられていて胃がいたい。

でも今日変わらないものに触れた。
感謝したくなるいとおしさ。

変わらないことを高らかに歌ったこの曲は大好き。

半年

あの日のこと。



柔らかく晴れた週末の午後だった。

誰かの「地震があったらしいよ」という声が聞こえた。
へえ、と思って、Yahoo!のトップページを見た。
震度7
阪神大震災の時って確か…。
すーっと背筋が寒くなる。

向かいの席の上司に「まずいかもしれませんよ。大きいです」と声をかけた。

誰かがテレビをつけた。
フロアのテレビは滅多なことではつけない。
入社以来、初めてのできごと。

「大きな地震が立て続けに起きてる」
「東北地方がひどいみたい」
「東京もまずいらしい」
「お台場で火事だって」

社員もアルバイトも浮き足立つ。
東京方面に家族や知人のいる人たちが携帯を手にフロアを離れる。

どうしよう。何をすればいいんだろう。

物流の拠点へ確認の連絡を入れるようにと指示が出た。
上司は東京へ、わたしは埼玉へと電話。しかしつながらない。

何が起こっているんだろう。

テレビには「大津波警報」の文字。
大津波警報って何?津波警報じゃなくて?
津波の発生予測地域の赤い色や黄色い色が日本列島の輪郭をなぞっている。
沖縄までも。

ふと、横にいるバイト君の実家が沖縄であることを思い出した。
「家とか、大丈夫?」
「ああ。母親が海の近くの基地で働いているんです」
「電話しておいでよ」
「いいです。大丈夫だと思います」
「大丈夫じゃないよ!いいからかけてきなって!」
つい、声が大きくなった。

電話が終わったバイト君に「どうだった?」と聞くと
「大丈夫らしいです。でも、基地の中が大騒ぎになってるって」

ああ。どうすれば。

そこでやっと自分の妹が東京にいるということを思い出した。
上司にことわって携帯をかけようとしたが、今妹にかけてもきっとつながらないと思い、
母がひとりでいる家へかける。
父は山口へ出張中だった。

母はすぐ電話に出た。
「さっき、おばさん(母の妹)と電話で話してたらいきなり電話の向こうで
地震!大きい大きい!とりあえず切るから!』って言って電話を切ったきり、
いくらかけてもつながらない」。
そういえば、おばも東京だ。
「なあ。お台場火事だって。テレビ見た?あの子は大丈夫なんだろうか」
とやはり妹のことも心配している。

「東京は電話がつながらないと思うから、とりあえずメールを送って、返事を待とう」
そう言って電話を切った。

パソコンのアウトルックを見ると新宿のオフィスの人から全く平静なメールが届いていた。
東京?大丈夫なの?
と、会社の内線を利用して連絡をしてみるとつながった。

「大丈夫なんですか?」
「いや。凄く揺れて、そのあとも変なふうに揺れ続けているんですけど、とりあえず、大丈夫です」
「逃げなくていいんですか?」
「ビルから出ないように、緊急放送がかかっているんです。だから今は待機中です」

うちの会社関連で週末に首都圏で予定されているイベントが2つあることを思い出した。
開催できるかどうかの確認をとらなくては…。
そう思っていると、笹塚のオフィスの全員が避難している、という情報が入る。

やっぱり東京も普通の状態じゃない。

イベントの状況の確認をする。
担当者は「中止になると思いますが、現地に行くお客様もいらっしゃると思うので
わたしが明日現地に行きます」とのこと。
行けるのかな。大丈夫なのかな。

確認事項やルーチンの業務に追われながら、時々テレビ画面に目をやる。
どこかわからない町が水浸しになっている。
どこかわからない町が燃えている。

だれかが「空襲みたいだよ」と言っていた。
その表現を咎めたい気もしたが、言葉が出せなかった。
テレビの映像を見ていて、気分が悪くなった人も出てきた。

飲み物を買いに自動販売機のところへ行った。
ああ。今、こんなふうに飲み物を買うことも、飲むこともままならない人たちがいるんだな。
妹もそうなんだろうか。

携帯を確認すると妹からの返信があった。
職場のそばはすごい人と車でごったがえしているらしい。
しかし、どこか冷静な妹の文面。少しほっとした。

イベントの確認は夜まで続いた。

家に帰ると、母も出張から帰ってきた父もテレビに釘づけになっていた。

丁寧に整えられた田畑やビニールハウス。
それを黒い水が覆っていく。

東に住む友人たちの安否も気になった。
しかし、メールをしていいものかどうか迷う。
自分が送ったメールが、携帯のバッテリーを消耗させてもだめだ。

ブログに行ってみると、帰宅が難しい人たちは
会社から自分のブログに状況を書きつづっていた。
「帰れない」「眠れない」「寒い」「また揺れた」
コメント欄に言葉を送った。
夜中まで、それを続けた。

*  *  *

あれから半年経った。

自分はあの日以前と変わらない生活をしている。
でも、3月10日より前の日々は、遠い過去のような気もする。
未だに震災の話が少しでも出ると、心の一部がかちっと固まる。

直後。
自分は何をやるべきなのか、何ができるのか考えた。そればっかり考えた。
自分にとって何が、誰が大事なのか、とか。
たくさんの人がそうだったのだと思う。
「まとも」だったと思う。
日常の私利私欲やこだわりを忘れて自分がやるべきことを模索していた。
買い占めとかあったけれど、それをすぐに「だめなことだ」と諫める声が湧いたりしていた。
時々、善意が先走ったり、ぶつかったりもしていたけれど。

被害の甚大さと、亡くなった人を悼む気持ち。

そして、あの時すべてをふっとばして、
まともであろうとした自分の魂。

忘れてはいけない。