退職に際してのほめ殺しお言葉集

なんだかんだあって会社をやめることにした。
いろいろあったわ。ほんとにもうねえ。
11月26日が最終出社日だった。

退職の発表から最後の日までに同僚たちからもらったうれしい言葉を残しておく。

「(退職の告知の張り出しを見て)どういうことよー。困るんだけど」
「ちょっとーー!(とわたしの後頭部をわしづかみ)」
「決断の早さを見習おうと思ってます。やめるまでの間でそのやり方を盗みます」
「もう!もうもうもうもう!(笑いながら泣きそう)」
「困ります。アテにしてたんで。でもこの選択はありです」
「何かを質問しても、時間がかかってもその結果や正しいやり方をきちんと教えてくださるんで助かってました」
「やめたら僕のボケに絶妙の冷たさでつっこんでくれる人がいなくなるじゃないですか」
「本当にいろいろと大変なことがあったねえ」
「(次の仕事が決まっていることを伝えると)面接で上品そうに見えたんじゃね?あくまで『見えた』んじゃね?」
「今更ですけど、わたし、すごく気が合うと思ってたんですよ密かに」
「いつも落ち着いてらっしゃるので、一緒に仕事していて安心できました」
「あるべき流れが読める人なんで、異動してきた時、できる人キターーーー!って思ってたんですよ」
「手紙を書いてきました。いらっしゃるときは『よっしゃ。なんかあったら聞きに行こ』って思ってたんですよー」
「30代に見えるって。もっときちんとお化粧したら20代に見えるかも」
(それを聞いた他の人から「さすがにそれはないわー」とのツッコミあり)
「雑貨屋とかカフェとか経営したらいいわ。そういうのが似合う!」
「いつまでもかわいくいてね」
「相談に行く優先順位の上位だったんですよ。これからまた困ります」
「(きゃっきゃとはしゃいだ後)いなくなったら…どうやって楽しめばいいんよ仕事場で。
会社での唯一のアミューズメント施設だったのに」
「次の仕事、制服?あはははははははははーー!写メ送って!飲み会の時に着て来て!」
「呑もう!近いうちにすぐ呑もう!」
「相手に合わせていろいろと対応できる人だな。えらいな。って思ってました」
「うえぇえぇぇええええ…(泣く)」
泣くのをこらえて無言で手を振る。


ありがとう。みんな。

砂漠に立つ

そういえば、手術した時のこと、最後まで書いてないな。
それにしても生きている。意外なくらい元気だ。

何年か前から、自分の先のことを考えた時に砂漠が思い浮かんでいた。
目の前に空を砂だけが広がっていた。
そして。つい最近、その砂漠に足を踏み出したような気がする。
砂漠にたどり着いてしまった。「目の前」ではなく、自分はもうすっかり空と砂に取り囲まれていた。

ここ最近、いろんなものをなくした。
わたしが手を離すと、消えていった。
いちばん大切だと思っていたものも。
自分がバカだったせいだな。

せめてまだそばにあるものは、守りきりたいと思う。
空と砂の中を歩いていく。

その後

今日は手術から10日目。
左脇腹が時々痛むけど、それ以外は大丈夫。
同じ病気だった人のブログとか読んでいると、退院後なかなか調子の戻らない人が多いようで、
そう言うのを読むとやっぱり不安になる。
が、とりあえず順調。通常比75%くらいまで戻った。
あとは月曜日からの仕事でどうなるか、がちょっと心配。


下記、自分の覚え書き。

病名:卵巣腫瘍(いわゆるチョコレート嚢胞)
手術方法:腹腔鏡手術

■6/10(入院1日目)
おとん、おかんと14:40頃病院到着。病室は個室にした。
1人で病棟の概要、ルール、手術前の注意点などの説明を受け、検温、血圧測定。
看護師さんが「43歳ですか?見えませんね。カルテ間違ったかと思いましたよ」とお世辞。
ちょっとウケた。どこからどう見てもバリバリのおばはんですよー。

病室へ戻り荷物を棚などへ収める。
その最中看護師さんから「お見舞いの方がいらしてますよ」と声がかかる。
びっくりして廊下へ出てみると友人の姿。
前日、入院を前にへこんでいることをメールしていたため、心配して来てくれたらしい。
病院名もはっきり告げていなかったのに、いろいろと探して来てくれた。
花と笑える本を持って。

おとんとおかんは帰り、病室で友人と話す。
飲み物でも買うか、と自販機に行く途中、ナースステーションの前で看護師さんに
「おへその処理はいつ行ったらいいですか?」と聞かれた。
あー。まずい。忘れてた。
友人は気を利かせて帰った。せっかく来てくれたのに申し訳なかった。
もっと話したかった。

おへその処理の後、部屋をもう少し調える。
最低4泊はする場所なので、使い勝手よくしておきたい。

18:00に晩ご飯。
手術を控えているので「低残渣食」というものだった。
でも普通のご飯に味噌汁と鶏肉の卵とじ、といたって普通の食事。というか普段より多いくらい。
翌朝の浣腸のことを気にしつつ、術後は絶食なのを思い出し、
体力をつける為にも食べなければ、とがんばって食べる。
そして下剤をこれも迷って3錠服用。

その後お風呂。
術前しか入れない、広々としたジャグジーバスを使わせてもらう。
テレビまでついている。バスタブは3人入っても余裕がありそうな大きな物。
なんだこの贅沢。一応テレビを見ながらくつろいでみるが、そんな環境に慣れていないのでとまどう。

部屋に帰って、来てくれた友人とメール。
長いやりとり。わたしの気持ちを落とさないようにすごくすごく気を遣ってくれているのがわかる。
いつもの月曜日の夜のように「酒場放浪記」を見ながら「今度はいつ気持ちよく飲めるのかなー」と思う。
消灯の22:00が来ても眠れない。
どうせ明日はイヤでも寝っぱなしだ。
不安になったり、友人のやさしさを思ったりしながら、少し泣いて、寝た。

■6/11(手術)
5:00ごろ目が覚める。
6:00までは水を飲んでよいことになっているので少しずつ飲む。

6:10ごろ看護婦さんが手術着と弾性ソックスを持ってきたので着替える。
えー。手術は11時からの予定なのにもう着替えるのか。
ここで一気に緊張感が高まる。
そのあと浣腸。「10分我慢してください」と言われたけど無理。
何がベストな状態なのかもわからない。
低残渣食はどれくらい低残渣なのさ?
胃に何か残っていたら術後の吐き気がものすごい、と聞いていたのでここでもまた不安。

それからはぼんやり友人の持ってきてくれた「ミャンマーの柳生一族」という本を読んだり、
テレビを見ながら過ごす。
先生の回診もとっとと終わる。
手術の準備に入ると言われた10:30までが長い。

9:45ごろおとんとおかん到着。
おかんに弾性ソックスの履き方がおかしいと指摘される。
いやでもこれで合ってるみたいよ。変だけどね。
一応、看護師さんにも聞いてみるが合っているらしい。
変な履き方をしたせいで血栓ができたらいやだしな。
と、いちいち怖い。

前の手術が長引いているらしい。
看護師さんから2度ほどその知らせが来る。
ああもう。緊張感の持って行き場がない。
…しかし。いつの間にかどうでもよくなって、寝ころんでへらへらと本に没頭。
おもしろい。ミャンマーの柳生一族。

と思っていたら呼ばれた。11:05。
手術室まで歩いていく。
おかんが後ろをついてくる。
振り返って手を振って、手術室に入る。

思ったよりごちゃごちゃした部屋。
手術着などを脱いで弾性ソックスのみのかっこうになる。
ああ。なんとまぬけなかっこうかしら。
と思ってたら看護師さんがバスタオルで隠してくれた。
そんなまぬけなかっこうのわたしに、お医者さんが
「ではご自分で手術台に上がってください」と言う。

えぇえぇえぇえぇぇえええーー!
いや確かに自分で歩いて手術室まで来て、目の前に手術台がありますけれども。
そりゃ上がりやすいように台が置いてありますけれども。
麻酔を一切打っていない鮮明に意識のある状態で自分で手術台へ上がるとは。
この恐怖。
ここで「いやだあああ!」と走り出しても止められるでしょうね。ええ。わかってます。
ソックスのみのかっこうでは逃げられませんし。

手術台に上がり横たわる。もう逃げられないなあ。
麻酔医の先生の自己紹介を受けながら、左手首に管が入る。
看護師さんがバスタオルから出た右肩をさすってくれる。
そして酸素マスクをつける。
麻酔医は「酸素が出ますよー」と言ったが、きっとこの中に麻酔のガスが入っているのだろう。
看護師さんが右手を握ってくれた。心強い。
「深呼吸してください」と言われたので1度深呼吸。
左手も別の看護師さんが握ってくれた。おお。両手に花ですな。いや違う。
この人たちはきっとわたしが麻酔で落ちる瞬間を探っているのだ。
2回目の深呼吸。まだ落ちない。
3回目の深呼吸。
このあとから、記憶がない。

「もう麻酔切れますよー」と誰かが言っている声が聞こえた。
足元が明るい気がする。
目が覚めていることをまわりに気づいてもらいたいような焦り。
(おかんによるとたぶんこの時にわたしはピースサインを出していたらしいが覚えていない)
テレビの音が聞こえる。NHK武内陶子アナウンサーの声。
…「クイズ・ホールドオン」か。ということは手術室に入ってから2時間くらい?
それにしてもテレビの音がうるさい。頼むから消してほしい。
膝から下が暑い。おとんとおかんの声もうるさい。
おとんがわたしの足元に座っているのが気になる。
暑くて掛け布団をどけるが、おかんが掛け直す。
気持ち悪い。
意識に入ってくるのが自分の気に障ることばかりでつらい。

「術後、2、3時間で早い人は歩きますよ」と看護師さんの声。
ああ。歩きたいなあ。
しかし自分の意識が迷路で迷っているような感じ。浮かんでは沈む。
その様子がわかったのか看護師さんが「がんばらなくていいから。眠ればいいから」と
耳元で言ってくれた。助かった、と思って眠った。

次に目が覚めたのは16:00過ぎ。
どのように言ったかは忘れたが、おとんとおかんには帰ってもらった。
もう、何に対しても気を遣いたくない。
心配していてくれるのに、申し訳ないことをしたと思うが。

携帯を見ると同僚や友人からメールが何通か来ていた。
友人に「ただいま」とメールを送る。それだけで精一杯。

18:00。看護師さんがベッドを起こしてくれる。
少しテレビを見て、もう一度ベッドを倒し、眠った。

しばらくすると吐き気。
痛みは耐えられるが、吐き気は耐えられない。
ナースコールで吐き気止めをお願いする。
以降約2時間ごとに気持ち悪くなる。
自分の吐き気と、向かいの部屋の人の激しい嘔吐の声で目が覚める。
最悪。と思いながら吐き気止めを点滴に入れてもらい、また眠る。

途中看護師さんが「夜の空気は気持ちいいから」と窓を開けてくれた。

気がつくと夜中の2:00。
前の吐き気止めの投薬から2時間を越えたが、気持ち悪くない。
…助かった。
心底ほっとして、きちんとした眠りに落ちていった。

■6/12(手術後1日目)

6:00ごろわりとすっきり目覚める。
昨夜までの吐き気は全くない。
お腹の傷も痛くない。
えぇ?こんなに平気なものなのかしら。
でも看護師さんから「枕から頭を上げるときには呼んでくださいね。
めまいとか吐き気とかあると思うので」と聞いていたからそのまま寝ておく。

しばらくして看護師さんがやってくる。
「起きてみましょうか」の声にベッドの背を起こしておそるおそる枕から頭を上げる。
…お?おおおおお?なんともなーい。
「昨日はとてもつらそうだったから大丈夫かな、と思ってたけど、問題無さそうですねー」とのこと。
歩けそうだったので、尿の管も取ってもらう。
(以前、別の病院に入院した時には尿の管の違和感がものすごくてつらかったが、
今回は違和感ゼロ。つけとんかいなそりゃそうだわな、てな感じだった)

「じゃあ、点滴の前にご自分で着替えましょう」とのことなので、
おそるおそる病室内を歩き、手術着から着替え、洗顔、歯磨きをする。
トイレにも行ってみた。
お水を飲むのは回診後とのことなのでうがいだけしたが、それでもかなり気分が違う。

同じ手術をした人のブログを読みまくり、検討に検討を重ねて買った
妊婦さん用のショーツが素材といい、へそを通り越すデカさといい、
柔らかさといい、もう最高の履き心地。傷がまったく痛くない!
ナイスセレクト自分!

しかし。パジャマ代わりに持ってきていたハーフパンツが…
この股上の浅さが…ゴムの伸縮具合が…痛いの何のって…
バッドセレクト自分…
仕方なく、超腰パンでハーフパンツを履く。

意外と普通に歩けたので拍子抜け。
しかし。洗面台まで歩いている時、みぞおちあたりから右肩にかけて
激しい痛みがきた。「うっ!」と声が出るくらいの。
でもベッドに戻ると和らぐ。

お医者さんの回診。
傷は大丈夫そうとのこと。
さっきの激しい痛みのことを聞いてみたら
「手術の時にお腹にガスを入れるので、そのガスが体内に残っていて
そのガスが動くときに痛くなるんですよ。特に立っているときは体の中を上にあがるので
肩の辺りが痛くなるはず。でも横になれば痛くないので大丈夫ですよ。
そのうち体に吸収されて痛みもなくなります」とのこと。
ほー。ガスか。それにしても痛かったわ。

看護師さんに手伝ってもらって、弾性ソックスを脱ぐ。
脱げた瞬間あまりの解放感に「ふわぁぁあぁ〜〜」と声が出て、看護師さんに笑われた。
弾性ソックスは「脚がむくんだ時に履くと気持ちいいよー」とのことなので、もらって帰ることにする。
「他に気になることとかある?」と聞かれたのでガスのことを言ってみたら、
「先生は安静にしていたら大丈夫って言ったと思うけど、体を動かした方が早く抜けるよ」とのこと。
そうか。じゃあなるべく動くことにしよう。

それから、ほとんど傷が痛くないので、まだ麻酔が抜けてないのかなーと思い、それも聞いてみる。
「今回は全身麻酔で、眠ってもらうための麻酔だから、局所の痛みを感じなくする物ではないんです。
今、フラフラする感じとかなければ、麻酔は完全に抜けているってことなので、
これからあと、今以上に傷が痛み始めるということもほとんどないですよ」
へー。そうなのか。意外と頑丈だな。わたしのおなか。

8:00朝ご飯。重湯とコンソメスープとヨーグルト。
まず、水を飲んで、のどの調子を確かめる。
むせないし、痛くない。よしよし。

土手っ腹に風穴を

風穴っつったら貫通してるからだめか。そう言えば。
貫通はしないけど、お腹に2、3個穴を開ける手術を受けるために入院する。

最初に「手術した方がいい」と言われたときは
はいはーいと気軽にその気になったが、直前になるとやっぱりいやだ。
術前説明の時に言われた何千分の一、何万分の一の確率で起こるという
合併症の当たりくじを自分で引くんじゃないのか、とか、
病理検査の結果「やっぱり悪性でした」と言われるんじゃないかとか、よくないことばかり考える。
そうなるともう頭が暗い方向にしか働かなくなって、
現在進行形の不安や過去のいやな思い出なんかまで浮かんできてへこむ。

それに、自覚症状が無くて普通に過ごしてるのに、
手術を受けたら一気に病人になってしまうのもこわい。

お酒飲んでも酔えなかった。

そういうのは自分で処理しないとだめだってわかってるけどな。
今回のこれは、これから自分がひとりでがんばっていくためのテストのようなもの。
きちんと向かい合う。誰かをあてにするのではなく。
人からなぐさめてもらおうとちょっと思ったけど、失敗した。
そりゃそうだ。これはわたしが背負わなければならない荷物なのだよ。

ひとりでちゃんと耐えたら、これからもやっていける。

とか言いながら、いてぇいてぇと騒ぐだろうけど。

今年の春

なるべくならばWEB上に、
せめてWEB上だけくらいには、
あまりネガティブな言葉を残すまい。
とここのところ思っていたのだが、
やっぱり吐き出したくなった。

今週、ベッコベコにへこむ出来事があった。
詳細は墓場に持って行く。
こんなん、人に知られたらドン引きされる。
ていうか、自分でもドン引きである。

やっぱり、こう、人としてわたしはいろいろと足らなさすぎるのだろう。

そして、また同じ病気になってしまったらしい。
もう大丈夫だと思ってたんだけど。
人間ドック、うけてよかったよ。

生きるって。
あー。「生きるって」で始まるひとり語りなどしゃらくさい限りだが。
生きるってめんどくせー。

だからって死にはしないけれど。
オムライスはおいしいし、桜はきれいだ。
さまぁ〜ずはおもしろいし、猫はかわいい。
お酒は飲みたいし、友達の誕生日はもうすぐだ。

だから、めんどくさいけれど、暮らしていく。
ささやかなわたしの推進力たち。
わたしを前に進めて欲しい。
頼む。

ぼくらが旅にでる理由は

旅から帰ってきた。
今回の目的は4つ。全て果たした。

旅に行く前は準備とか「行った先で体調わるくならんやろか」とか
「天気どうなんだろ」とかいろいろ心配しすぎて
「ああ。もうどうでもいいわ」と行きたくなくなる。
行ったら行ったで楽しんだけど。

それにしても自分の旅にはバリエーションがない。
1人で出発。東京。向こうで友達と会う。飲む。ライブに行く。買い物する。
こればっかりだ。
他にねえ。求めている物がないのかな。

今回は、自分がダメダメな状態だったので
とにかく、場所を変えてみることも必要だったのかもしれない。
意識はしていなかったけど。旅から帰ってそう思う。
東京にいる間、自分は無事だった。
自分という存在が、東京で拡散する。
圧倒的な人の数とめまぐるしく変わる風景で、
自分が抱えているものが薄まっていく。
これがずいぶんと気持ちよい。

最初、ちょっと冷や汗が出ることもあったが、
大体全てにおいて順調な旅だった。

富士山がきれいだったし、
欲しかった靴を買ったし、
見たい風景も見られたし、
友人と飲んで、すんごくすんごく楽しかったし、
プラネタリウムでは癒え癒えに癒えたし、
ビーフンはおいしかったし、
ライブでは確認したかったものを確認できたし、
夜景はきれいだったし、
おみやげももれなく買えたし、
荷物のストレスもなかったし、
適度に休みながら動けたし。

こういう旅をいつまでやれるのかわかんないけど。

旅の間に頭の中でかかった曲たち

行きの新幹線で

ライブの前と後で

ゆりかもめから夜景を見ながら

帰りながら

帰ってきてから

あの頃の話

今、テレビをつければいじめの話を目にする。
ネットでもいろんな著名人が「いじめている君へ」「いじめを見過ごしている君へ」みたいな
メッセージを発信している。

中学の時、いじめられていた。
思春期の特有のあれで、自分のまわりのはバカばっかりだとか思っていたし、
たぶん、こうした思いは行動にも出ていた。
そういう人間の存在には周囲も思春期特有のあれで敏感だ。

無視とか悪口とかの精神的な締め付けに遭った。
でも、身体的なダメージは免れた。

友人がひとりいた。
ある日の下校時、先に帰ったはずのその子が
なぜか通学路をみんなとは逆に走ってきた。
そしてわたしの姿を見かけるやいなや
「明日、学校に来ない方がいい」と泣きながら訴えてきた。
聞くと、その子のそばを歩いていた、同学年の男子の主力グループが
「明日、あいつをリンチする」とわたしの名前を挙げたらしい。

あー。こわいー。こわいこわいこわいこわい。
明日休もうかな。でもおかんにどういったらいいんだ。
いじめられていることすら言ってないし。
男5人にリンチされるのか。痛いよなあ。
それにしても男5人で女1人をねえ。
バカじゃねーのかあいつら。
勝てんやろなあ。

いやまて。

5人だったら勝てんが相手が1人だったら勝てる可能性があるんじゃないか?

「夜、あいつんち行ってくるわ。一対一ならなんとかなるかも」
とリーダー格の子の名前を出した。
友人はあわてた。わたしを止めに止めに止めた。
それでも行くと言い張るわたしに「じゃあ、わたしもついて行く」と言ってくれた。

そして夜、友人と待ち合わせ、その男子生徒の家に行った。
玄関のチャイムを鳴らすとお姉さんが出てきたので本人を呼んでもらった。

完全に怒った状態でそいつが出てきた。
「なんの用じゃ」
うう。こええ。でもここで帰るのもマヌケだしねえ。
とりあえず、この人武器らしき物は持ってないし。いけるか。
それから、場所を変えさせてはいかん。ここで決着をつける。
自分の家の前で下手なことできんやろ。

「なんか、わたしのことリンチするとか聞いたんだけど。
それ、やめて欲しいなと思って言いに来た」
「お前あほか。だいたい生意気なんじゃ」
「同学年の人に生意気とか言われたくないわ」

途中で殴られそうになったことも覚えている。
「こっちこい。殴ってやる」と言われ「なんで殴られんといかんのかわからんわバーカ」
というやりとりも確かあった。
でも覚えているのはこれくらい。
あとは興奮が極限に達したせいか、記憶がない。

「もうやめて!」と友人が泣き出し、そこではっと気がついた。
男子生徒は悪態をつきながら家に入っていった。

勝ったのか負けたのかわからんなあ。
でもとりあえず、今日は終わった。無傷だし。
明日からどうなるかな。でもとりあえず終わった。
…こわかった。

涙があふれてきて、友人と声を上げて泣いた。
そしてひとしきり泣いた後、涙が乾いてから、
なんにもなかったような顔をして家に帰った。

次の日も、その次の日も、リンチはなかった。
「あいつら口だけかあ」と思っていたら他の人がやられたらしく、
それを聞いて、学校の廊下で腰を抜かした。

あの友人がいなかったら。
あの時リンチに遭っていたら。
あの「一対一なら勝てるかも」というどうしようもなくバカな発想がなかったら。

わたしは今どうなっていたんだろう。

あのことがあってから20年くらいたって、
おかんに「こういうことがあったよ」とやっと言えた。
おかんは心の底から怒り、泣いた。
ああ。あの時、話せばよかったかな、とちょっと後悔した。

今も思い出すと、手先は冷たくなり、動悸も激しくなる。

ついでにいえば、あの男子生徒のことをわたしはすごくすごく好きだった。

あの頃の自分も悪い。
同級生たちを見下していたんだから。イヤな奴に違いない。

だからなんなのか、ってことだが。

答えなんて簡単には出ないよ。