半年

あの日のこと。



柔らかく晴れた週末の午後だった。

誰かの「地震があったらしいよ」という声が聞こえた。
へえ、と思って、Yahoo!のトップページを見た。
震度7
阪神大震災の時って確か…。
すーっと背筋が寒くなる。

向かいの席の上司に「まずいかもしれませんよ。大きいです」と声をかけた。

誰かがテレビをつけた。
フロアのテレビは滅多なことではつけない。
入社以来、初めてのできごと。

「大きな地震が立て続けに起きてる」
「東北地方がひどいみたい」
「東京もまずいらしい」
「お台場で火事だって」

社員もアルバイトも浮き足立つ。
東京方面に家族や知人のいる人たちが携帯を手にフロアを離れる。

どうしよう。何をすればいいんだろう。

物流の拠点へ確認の連絡を入れるようにと指示が出た。
上司は東京へ、わたしは埼玉へと電話。しかしつながらない。

何が起こっているんだろう。

テレビには「大津波警報」の文字。
大津波警報って何?津波警報じゃなくて?
津波の発生予測地域の赤い色や黄色い色が日本列島の輪郭をなぞっている。
沖縄までも。

ふと、横にいるバイト君の実家が沖縄であることを思い出した。
「家とか、大丈夫?」
「ああ。母親が海の近くの基地で働いているんです」
「電話しておいでよ」
「いいです。大丈夫だと思います」
「大丈夫じゃないよ!いいからかけてきなって!」
つい、声が大きくなった。

電話が終わったバイト君に「どうだった?」と聞くと
「大丈夫らしいです。でも、基地の中が大騒ぎになってるって」

ああ。どうすれば。

そこでやっと自分の妹が東京にいるということを思い出した。
上司にことわって携帯をかけようとしたが、今妹にかけてもきっとつながらないと思い、
母がひとりでいる家へかける。
父は山口へ出張中だった。

母はすぐ電話に出た。
「さっき、おばさん(母の妹)と電話で話してたらいきなり電話の向こうで
地震!大きい大きい!とりあえず切るから!』って言って電話を切ったきり、
いくらかけてもつながらない」。
そういえば、おばも東京だ。
「なあ。お台場火事だって。テレビ見た?あの子は大丈夫なんだろうか」
とやはり妹のことも心配している。

「東京は電話がつながらないと思うから、とりあえずメールを送って、返事を待とう」
そう言って電話を切った。

パソコンのアウトルックを見ると新宿のオフィスの人から全く平静なメールが届いていた。
東京?大丈夫なの?
と、会社の内線を利用して連絡をしてみるとつながった。

「大丈夫なんですか?」
「いや。凄く揺れて、そのあとも変なふうに揺れ続けているんですけど、とりあえず、大丈夫です」
「逃げなくていいんですか?」
「ビルから出ないように、緊急放送がかかっているんです。だから今は待機中です」

うちの会社関連で週末に首都圏で予定されているイベントが2つあることを思い出した。
開催できるかどうかの確認をとらなくては…。
そう思っていると、笹塚のオフィスの全員が避難している、という情報が入る。

やっぱり東京も普通の状態じゃない。

イベントの状況の確認をする。
担当者は「中止になると思いますが、現地に行くお客様もいらっしゃると思うので
わたしが明日現地に行きます」とのこと。
行けるのかな。大丈夫なのかな。

確認事項やルーチンの業務に追われながら、時々テレビ画面に目をやる。
どこかわからない町が水浸しになっている。
どこかわからない町が燃えている。

だれかが「空襲みたいだよ」と言っていた。
その表現を咎めたい気もしたが、言葉が出せなかった。
テレビの映像を見ていて、気分が悪くなった人も出てきた。

飲み物を買いに自動販売機のところへ行った。
ああ。今、こんなふうに飲み物を買うことも、飲むこともままならない人たちがいるんだな。
妹もそうなんだろうか。

携帯を確認すると妹からの返信があった。
職場のそばはすごい人と車でごったがえしているらしい。
しかし、どこか冷静な妹の文面。少しほっとした。

イベントの確認は夜まで続いた。

家に帰ると、母も出張から帰ってきた父もテレビに釘づけになっていた。

丁寧に整えられた田畑やビニールハウス。
それを黒い水が覆っていく。

東に住む友人たちの安否も気になった。
しかし、メールをしていいものかどうか迷う。
自分が送ったメールが、携帯のバッテリーを消耗させてもだめだ。

ブログに行ってみると、帰宅が難しい人たちは
会社から自分のブログに状況を書きつづっていた。
「帰れない」「眠れない」「寒い」「また揺れた」
コメント欄に言葉を送った。
夜中まで、それを続けた。

*  *  *

あれから半年経った。

自分はあの日以前と変わらない生活をしている。
でも、3月10日より前の日々は、遠い過去のような気もする。
未だに震災の話が少しでも出ると、心の一部がかちっと固まる。

直後。
自分は何をやるべきなのか、何ができるのか考えた。そればっかり考えた。
自分にとって何が、誰が大事なのか、とか。
たくさんの人がそうだったのだと思う。
「まとも」だったと思う。
日常の私利私欲やこだわりを忘れて自分がやるべきことを模索していた。
買い占めとかあったけれど、それをすぐに「だめなことだ」と諫める声が湧いたりしていた。
時々、善意が先走ったり、ぶつかったりもしていたけれど。

被害の甚大さと、亡くなった人を悼む気持ち。

そして、あの時すべてをふっとばして、
まともであろうとした自分の魂。

忘れてはいけない。